「負けた」教の信者たち

「負けた」教の信者たち - ニート・ひきこもり社会論 (中公新書ラクレ)

「負けた」教の信者たち - ニート・ひきこもり社会論 (中公新書ラクレ)

 著者のいう「負けた」教の信者たちとは、「自傷的自己愛」にしかすがることのできない若者、を指すとのことである。"勝ち"というイメージを描き得ず、"負けた"と思い込むことによって、自らのプライドを温存している、という。初出を見れば2003~2004年なので、そんなに違うとも思えない今の状況、だと思う。潔く負けを認めることは伝統的な日本の美学でもあるので、同じようなものが僕の中にも確実にあるし、僕も「負けた」教の信者かもしれない微妙な感覚はある。何らかの形で自分のプライド、うんアイデンティティと言ってもいいかもしれない、それを保持しなければ自分がなしくずしになるような生活のペースの加速があるようにも思える。再チャレンジなる言葉があったけど、そういう言葉が出てくる状況ではあると思う。

 私の話は本の内容からかなり脱線してるが、ニートやひきこもりに関する本である。僕はタマタマこういうことにならないような幸運(いやー全然幸せじゃないんだけど!)で、そういうふうにならないだけなのかも、なんて思いました。でも、一番面白かったのは"「有害なわいせつ性」という社会通念こそ有害である"という話で、著者の視点はクールだなと思いました、現場にいるからでしょうね。