歴史の痕跡が私の中に

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 長崎の外海(そとめ)にある出津(しつ)。話し言葉で聞いてもわからず、気になって民俗資料館の人に説明してもらった。

 前の晩、どうしようかなあ、と観光サイトを眺めていたら興味を惹いた。この土地はキリスト教の歴史は多い、その多くは悲劇だ。その悲劇を乗り越えて今に続く時間、その時間を感じる為には書物じゃだめだ、その場所で、光を空気を感じなければわからない。そして、なんだかいつも誰も行かないような場所に向かう。

 民俗資料館は取り立てて他と変わりはない、1Fは。それでも、あのような昔の痕跡と出会うたびに何かしら自分の中の細胞が震える気がする。思うのだけれども、人類の始祖から続いてる何かがあるのだ。もちろん、それは絶え間ない原子の流れで変わっているのだが、それでも歴史の痕跡が私の中にもあり、そしてこの土地にもあり、それが共鳴する。

 出津教会はド・ロ神父の設計により建設されたカトリックの教会、とは思えないほど質素な感じ。丘の上にあり出津の集落、海を見下ろす。ド・ロ神父の業績は記念館でも知ることができる。地球の裏側からこの地を訪れ多くのことをされた、今でも同じことはできるだろうが時間のスケールが違う。これが驚きなのだ。私たちは幸せを求めて高周波なサイクルで生きている、でも彼らは違ったのではないだろうか。もっと、ゆっくりと濃密なようでまったりとした時間、それでもそれは無駄じゃなかった、その時間の感覚を少しは経験できた気がする。

 遠藤周作の「沈黙」、読んだことはあるが忘れた。でも、ここから見える海の碧さを見ることができてよかった。ほんと数分前は曇天だったのだ。