長い多く時間が粒子のように

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 道後温泉。松山に来たら、やはりここに来なければ。のんびり湯でなく、さらりと頂いた。それでも、どこかしらお湯にも格式を感じる、一味違う温泉だ。しかし、観光客が多い、坊ちゃん風情の服来た職員さんかな、あちこちで観光客をサポートしている、色々回っているけれど、ここまでやっているのも珍しい。リピーターも多いことだろう、私もそういう気分になった。

 さて、そろそろ帰らねばならぬが、その経路は広島経由もいいかなと思ったが、もう家が恋しくなったので、道草せずに帰るため三津浜から柳井に向かうことにした。駅から港への道、特に調べていなかったが正岡子規も歩いた道のようだ。そういう過去と今が重なり合う時不思議な気分になる。長い多く時間が粒子のように駆け巡る気がする、この感覚は独特だ。そう思うようにしているからかもしれないが、時をかける少女のようだ。ラベンダーの香りか。

 瀬戸は穏やかで、平安の時代へ遡る。帆船で歌を詠みながらゆるりと、そういう光景が浮かんでくる。幾重にも重なる島々を眺めながら、時間と波の反復が、長い時間を蓄えた身体の奥底の遺伝子の反復と呼応する。

 柳井港の直前で橋をくぐる、この橋を渡ってみたい。橋フェチだ。この経路は夕暮れ時を狙ってまた来るつもりだ、夕焼けに染まった瀬戸の光景は格別だろうな、と思う。