テクノロジの正解はひとつではない

f:id:shiori_nasuhiko:20100910181216j:image

 九州大学大橋キャンパス、ボクにとっては芸工大、のほうがなじみ深い。ちゃんと以前の名前が残っている。後ろの建物が本日の会場。この大学に入学する可能性もあった、だからここで過ごした自分の人生はどういったものになったのだろうと想像するのも楽しい、とも言い難い。幸せな姿を想像しても空しいし、不幸せを想像しても哀しい。

 大橋は月に一度は訪れる場所、でも仕事込みで来るのは初めて。当初は仕事3割趣味7割のつもりだったが話を聞いて逆転した、実に仕事的に刺激的な内容であった。

 岩井俊雄氏の講演。見た目やさ男だが話を聞けば頑固な芸術家だ。プロフィールを見れば一つ上、彼自身が自分のプロフィールを紹介したのだが、自分にとっても懐かしい記憶。文学とか音楽とかあまりこの世代いないんだよね、同世代の文化人で初めてスゴイ奴と思った。ただ、今に至ってそう思うのかもしれない、それは講演の中での言葉「テクノロジの正解はひとつではない」にボク自身も辿り着いていたからだ。

 彼自身が映像と音の原点をパラパラ漫画と楽譜から解き明かす。映像も音もストリームだが、人工的には寸断化?せざるを得ない。技術の進歩でその原理を意識しないのだけれど、彼の凄さはその原理のダイナミズムをchild like wonderに捉え切れていることにある。彼の作品はモノではあるが、作品そのものに触れる人間をも含む表現である、だからモノは適切ではない、モノとヒトの不可分な"モノ"なのだ、うーん、言語に表せないなあ。そういう意味で彼が"アート"の世界に"メディアアーティスト"としているのも合わない気がする。ボク自身は"アート"という概念に抑圧性を感じているので批判的なんだが、彼も自分を適切に表現できる言葉を捜しているのかもしれないが、そこまで過激になる必要もないけどね。しかし、ホント久しぶりに感動しました。simpleな思想は美しい。