命の地平

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 仙崎は山陰本線長門市駅から出ている支線のターミナルである。だから、そこから先はない、あったのはコスモスであった。いい感じである。

 仙崎は漁港、そして童謡詩人金子みすゞの故郷である。今回は青海島の方へは行かず、仙崎町内を散策。これは、大橋を渡ったところからの写真。一応橋だけは渡りました。

 仙崎町内は「金子みすゞが観光」といっていいぐらいに普通の漁村である。各所におかれたみすゞの詩碑を読みながら散策するのだが、家毎の軒先には絵馬のようなものにみすゞの詩が書かれて吊るされている。金子みすゞという詩人が、観光としてではなく普通の感覚で愛されているような気がする。そういう雰囲気もあってか、予想以上に楽しめた時間であった。みすゞのお墓があるお寺の近くでみすゞも発見しました。

 金子みすゞは実は苦手な詩人である。虚勢を張る男にはグサッとくるような視点がある。でも、こうやって読みながら町を歩いているとカラダで理解していける気がする。海の町、細い路地、潮の香り、鳶の鳴き声、そういうものを通して詩をカラダで理解していく。そうこう考えながら歩いた結果、彼女は命、あらゆる生き物が持つ命の不思議さを持ち続けていたのではないだろうか。その命の不思議さを生んでいるのは自然なものではない、と。人の命の先に鰯の命が同じ地平にあることを。なーんて、こういう言い回しが虚勢なんですが、ボクはこういう表現しかできないので、でも、彼女の詩を理解できた気がする。決して幸せだったわけではない彼女の晩年を思うとまだ言葉にできない思いもあるのだが、時空を超えるような想いを抱けるのだな、とも思う。そう、「時空を超える」って簡単なことじゃないか、タイムマシンなんて粗雑な論理で考えるから余計難しくなる。

 みすゞ通りで食事。せっかくおいしい海の幸があるのに何故か普通の食事。こういう捻くれた性格はどーしよーもない。でも、みそ汁にゆずの皮が入っていた。何故と聞いてみると、夏だから爽やかでいいかなと、オバさんのオリジナリティらしい。大変美味しかった。