知的活動におけるノイズ

 知的活動においてはノイズが必要で、それが知的ジャンプを生み、知的活動には余裕、あるいはフレキシビリティー(柔軟性)が必要だと思います。したがって、できるだけノイズを除去しようというパーソナル化、あるいはコンテクスト・アウェアネス化というITは、それとは逆行するのではないかと思います。

(asahi.com)http://www.asahi.com/sympo/070202/07.html

 インターネットからユビキタス、そしてコンテクスト・アウェアネスというIT系サービス開発の大きな流れがある。おそらく情報リテラシーに格差があることもあるだろう。ただ、知的な活動にも生活行動にも情報だけでなく何かが必要なんだよね。例えば、ロハスなんてのが少し流行してたけど、ノイズというか効率性だけが重要じゃないということが、見えてきたんだよね、きっと。情報は情報でしかなく、それ自体が僕らの世界を豊かにしてくれるわけじゃない。「情報」という言葉が軍事に由来してて、何か殺伐とした感じもある。

 インターネットが面白いのは"網"だったことだろうな。網の結び目が情報、網の空白が僕らの生活だ。僕らがふぬけた軟体動物になれば、網なんてどうでもいいんだよな。