テクノロジがホントにヒトのためになっているのか
考えないヒト - ケータイ依存で退化した日本人 (中公新書 (1805))
- 作者: 正高信男
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2005/07/26
- メディア: 新書
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以前読んだ本、続編を読むなんて珍しい、それも間に読んだ本が意図してはいないけれど橋渡ししてて、脈絡のない読書の醍醐味はこういう点にあるのかもしれない。
ケータイに代表される情報化によりヒトはサル化している、というお話。機器の高度化によりヒトの機能が代用され廃用症候群のように退化する、パソコンでデスクワークすることで漢字を書けなくなる経験に近い。書の前半はやや異論を呼びそうな飛躍もあるけれど、筆者の日常感と研究内容の衝突時生成された仮説である。それを楽しめるかどうかで、ボクは楽しめたし、悪くないと思う。こういうことを科学的に証明するのは無理なんで、仮説を仮説として扱えばいいし、そういう知のあり方が必要だと思う。タイトルにあるように"考えない"はコミュニケーションの質の問題で、こういうタイトルはどうかとは思う。
年齢で保守化しているせいかもしれないが、最近テクノロジがホントにヒトのためになっているのか疑問なんだなあ。ヒトの不便さ、苦しさを解消してくれたけど、同時にその能力を失わせる。こうしてパソコンで文字を打ちコピペで入力ははかどる、ネットに表現できる。後者は社会的に大事かと思うが、前者は陥りやすい罠だわなあ。