ナチュラル・エクスタシー

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 河内貯水池。先日の皿倉山の裏側?にある、まあどちらが表か裏か決まりはありませんが。ただ、市街地から一山越えるとそこはのどかな田舎である、この落差が時間のエアポケットに入り込んでしまった気がする。本日もレンタサイクル、外周はサイクリングコースになっていて実に快適。ボードなどの施設はなく、釣りも禁止されているため、まあまあキレイ。奥はキャンプ場でそのあたりは、うーん、キレイしてもらいたいですね。

 サイクルセンターから反時計周りでめがね橋、それを渡り、8の字に回る。めがね橋、なんでこんなところに橋が、とは思うが、いいじゃないの、キレイなんだから。なんだかんだ言って、建造物はスゴイ。これはオトーサンが作ったんだぞ!、なんて威張れる。ソフト屋なんて、パソコン画面でチョコマカしてドーダなんて言えねえなあ。しかし、橋を渡る行為がなんでワクワクするのだろう、向こうに何かがある、そう、希望と同じ構造だからかもしれない。

 河内ダム、どこかでこのダムの写真を見て今回来た。少し趣向を変えて高い位置から撮影してみました。石造りの風合いが実にステキ。コンクリート、ドカーンもそれなりにはスゴイけれど、約90年ほど前のこちらが魅力的なのはどうしてなのだろう。テクノロジーは進化しているけれど、おそらく安全に工事ができるようになっているのだろうけど、何かが違う。それは得られたものと失ったもの、エネルギー保存則である。

 風雨龍吟、検索すれば「龍吟ずれば風雨来る」とのこと。ここ数年、雨は予想以上の現象である。湖の周囲も崩れた箇所があり修復が新しいされた。山から雨水が注いでいるような箇所も見かけられる。本来は恵みである、バランスが崩れているのか、それとも次への変化の予兆なのか。20世紀の激動の序章でこのダムは生まれた、そして21世紀にも変わらぬ姿、変わらぬ文字は希望と誇りなのだ。思い起こさねばならぬことがあるかもしれぬ。

 湖の周囲半分は木陰で快適ではあったが、やはり汗ダラダラにある。あじさいの湯でさっぱりと。露天風呂、青い空に向かい、隠すことなく裸体をさらす。木々が揺れる、ひんやりした風が体を撫でていく恍惚。龍は上りませんが、これはナチュラル・エクスタシー。大昔サルだった記憶がどこかに残っているのかもしれない。いや、そうではなく、これを感じ始めた時に裸のサルになっていったのかもしれぬ。